余裕が生むヒット
スマホゲームの「ねこあつめ」が、
納品が遅れなければ空いた時間には好きなゲーム開発して売ってていい
という社風のなかで生まれたことは、記憶に新しい。
このような社風は、特にプログラマーの職場で多いような気がする。
この先駆けはGoogleの20%ルールのような気もする。
20%ルールとは、
「勤務時間の20%は、通常の職務を離れて自分のやりたいことに取り組んでよい」
というルールのことだ。
(今はなくなっているといううわさもある)
そこから、GmailやGoogle Mapがうまれたというのだからすごい。
私の感覚としては、すばらしいもの、世の中をかえるものは、
何かを目的として設定して作るより、誰かが好きなものや楽しいものという
半ば「趣味」を極めた領域から生まれるのではないかと考えている。
また、このように好きなことやってもいいよ、といわれると、
目標に向かって一心不乱、もうそれしか見えないという視野が狭い状態より、
より俯瞰して見えるのではないかという気がする。
私は、研究者もプログラマーと同様、クリエイティブな仕事だと思う。
特に企業で働く研究者"以外"の研究者は、
誰かに要求されて何かをつくるとかそういうことはあまりないと思う。
しかし、研究者は研究をするうえで研究費をもらう。
この研究費は、申請書にこんなことをこれからやりますよ、
それがこんなことに役立ちますよ、みたいなことを書いて、
これが実現するなら、お金をあげましょう、っていうのがほとんどだ。
そして、そのお金はそれを目的にしたもの以外には基本的には使えない。
つまり上に述べたような視野が狭い状態に陥っている気がする。
これが解消されてほしいと、わたしは思う。
まあ要はばらまくのも重要じゃない?ということだ。
誰かが好きで好きで追究したことが、ノーベル賞級の
(ノーベル賞は誰かの役に立つのが前提だが)発見になるかもしれない*1。
さて、ではどうやって、というのはまた別の機会に考えることとする。
競争しても、いいものは生まれないのだ。
追記
そういえば今年のノーベル物理学賞のニュートリノでも「何の役に立つか」
は話題になりましたね。
いろいろと頑張って回答されていますが、
注釈1でもとりあげているブログの記事にこんな言葉が。
日本では、数学や科学の基礎研究のほとんどは国民の税金で行われているので、納税者がクライアントになります。その代表者に
「十年後にどのようなリターンがあるのか」
と聞かれたときに慌てふためかなくてもよいように、日ごろから基礎研究の重要性を広く伝える努力が必要だと思います。
ですよね。。
やはり、そのためには教育ですよね。
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